2008年04月19日

アガティス西草深(賃貸マンション)の写真を載せてみました。

写真のアップの仕方が分りました。なかなか、うまくいかなかったですが、やっとアップできました。4月5日だったと思いますが、静岡祭りの行列がマンションの前を通過した時に撮った写真です。静岡市葵区西草深町24-15にあります。このマンションの詳細なことはhttp://yasuike.jp/をご覧ください。

入居お問い合わせ不動産会社:
林光産業株式会社 054-271-7878  

Posted by イーラパーク安池 at 09:11Comments(2)TrackBack(0)マンション

2008年04月19日

クラーク西草深(賃貸マンション)の画像もアップしました。


もうひとつのマンションの画像もアップしました。静岡市葵区西草深町9-15にあります。
詳しくはhttp://yasuike.jp/でご覧ください。

入居お問い合わせ不動産会社:
林光産業株式会社 054-271-7878  

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2008年04月22日

経営の基本は人間性を高めること(船井幸雄氏)

船井氏の著書「本物の経営ノウハウ Part2」に企業経営の第一目的は、教育性(人間性を引き出し高めること)の追求である。それが社会性の追及につながり、ひいては収益性追求につながってくるという内容だ。

経営者は、企業経営を通じて、その経営に携わり、あるいはその経営体から影響を受ける人々の人間性を引き出し、高めるために企業経営を行うべきなのである。

人間性を引き出すとは、良心に従った生き方をする人間をつくることであり、良心的発想と行為を引き出すこと。人間は人間性を高めるために生まれてきた。愛情を大きくし、知恵を増やし、自分の本質に気づき、我欲を減らし、反自然的行為を減らすことだ。

現実社会でもっとも多くの人が関わる企業経営の場が、もっとも人間性を高めやすい。それは、企業経営の世界ほど、日々が不安定で変化に富んでいる世界、そして努力の結果がすぐに出てくる世界は他には無いからである。・・・・・としている。

確かにその通りだと思う。人間性を高めていけば、自己充足感は高まってくる。従業員もその会社にいて人間性がどんどん高まっていく感じがしたら、楽しいし、仕事へのやる気が増してくる。良心的発想で考えるので、社会に反したり自然に反した行為もなく、世の中にも指示される企業になる。そうするとその企業の商品やサービスは付加価値も高まり、収益を生んでくるのであろう。私も人間性を高める経営をするという考え方に賛成だ。

  

Posted by イーラパーク安池 at 20:07Comments(2)TrackBack(0)経営

2008年04月27日

株式会社アドビッグ主催の営業セミナーに参加させていただいた

㈱アドビッグ主催の営業セミナーに小松勇次社長のご案内で参加させていただいた。
今回は4月26日9時~12時迄、参加費は㈱アドビッグ様のご好意で無料で静岡市のグランシップにて行われた。5回シリーズで後4回あるとの事だ。

今年4月に株式会社アドビッグの社長に就任した小松勇次さんは、自分自身の周りにいる人達に対して、常に損得抜きでその人が何を求めているかを考えて人を紹介するなど、その人の為を思って与え続ける行動をとっていて、私も何度もお世話になり感謝し、尊敬する人物である。

今日このセミナーに参加された50名の方は日頃から小松勇次氏が密にお付き合いなさっている方々もしくはお取引先の社員さん達だろう。株式会社アドビッグといえばイカイグループ関連の広告代理店と私は認識があるが、単に広告を販売するのではなく、周囲の人々と共に幸せになろうという考えから、社長自ら講師となり、自らの営業で培ってきた貴重なノウハウを、惜しみなく受講者に伝えていた。

今日は、5人グループが10グループで受講したが、グループ内で各セッション毎、各人の発表を聞きあうと言った形で進み、最後には自分以外の4人の方から見た自分の良いと思われるところ、改善したほうが良いと思われるところをフィードバックしていただき、大変に勉強になった。

次回は5月24日だそうだが、私は親戚の結婚式出席のため出られない。3度目の講義には是非参加をしたい。このように自分だけ勝てばよいのではなく、周りも一緒に勝てるようWIN-WINの関係を創る企業がこれから生き残っていく企業なのであろうと思い、一層㈱アドビッグや小松社長の器の大きさに感じ入った。

ここに主催者の連絡先を記載しておきたい。

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株式会社アドビッグ静岡 
この講演会の企画をされた社長の小松勇次氏
http://www.adbig.jp/
〒422−8037 静岡県静岡市駿河区下島114−1
TEL054−236−7301 FAX054−236−7302
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2008年04月27日

我が家でこいのぼりが気持ち良さそうに泳いでいます。


去年ポールを立ててあったので今年は鯉をつるすだけでこいのぼりを上げることが出来ました。去年は確か13~14mのポールをはしごに乗りながら立てるのは本当に大変だったので、ポールは片付けず1年が経ちました。今日は天気が良く空も青々しているので、写真を撮りたくなりました。



家内の実家からいただいたもので、始めは天然の竹で10mくらいのものを近くの竹屋さんから買ってきて、木の杭を庭に打ってこれも大変な思いで立てました。嵐の日には、竹がものすごくしなって、折れそうではらはらしながら見ていた記憶があります。

それに比べアルミのポールは見ていて安心です。今日も気持ちよく鯉が泳いでいます。

子供の健やかな成長を心から願っています。






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Posted by イーラパーク安池 at 13:22Comments(2)TrackBack(0)楽しい出来事

2008年04月28日

日常的に自然と触れ合うこと

アガティス西草深(静岡市にある賃貸マンション)から歩いて2分のところに浅間神社があります。その浅間神社は賎機山の麓にあります。そして近所の人は賎機山のことを浅間山と呼びます。

今日は家族で間山の頂上まで登りました。山の中腹で見かけたたい大木ですが、枝ぶりが複雑で、ものすごくエネルギーを感じました。

休みの日に身近なところで自然に少しでも触れる努力をすると、自然からもエネルギーをもれあるような気持ちになりました。日常的に自然と触れ合うことって大切ですよね。

この木があったのはココのあたりです。(地図が表示されます。





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Posted by イーラパーク安池 at 04:37Comments(2)TrackBack(0)アガティス西草深

2008年04月28日

浅間山の頂上から臨済寺を望む

浅間神社から百段階段を登り、浅間山(賎機山)の頂上まで行くと、眼下に臨済寺が見える。初めて上から境内の中に伽藍配置の全容を見た。

車で行くとアガティス西草深やクラーク西草深から5分のところで門から、石段が見え奥行きが深く、どこまで境内が続くのだろうといった感じである。

臨済寺は徳川家康が幼名竹千代の時代に8歳で今川氏の人質としてこの寺に入り、当時今川氏の執権職にいた雪斎に兵法などその他学問・知識を学び、徳川三百年の礎となる戦略を身につけたいう人は多い。

方丈は今までに2回戦火にあい、1度目は永禄11年(1568)武田信玄により焼失し、元亀3年(1572)正親町天皇の勅命によって信玄が再建、2度目は天正10年(1582)徳川家康により焼失同年8月正親町天皇御内令により家康が再建したものが今日みる伽藍である。


その臨済寺が、私の住む西草深町から程近い場所にある。江戸時代三百年の仕組みはここで始まったと考えるとこの景色が感慨深いものである。


 


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Posted by イーラパーク安池 at 12:58Comments(0)TrackBack(0)クラーク・アガティス

2008年04月29日

私が描きました(十一面観音)

                                              私の趣味の一つに絵を描くことがあります。もう一つは仏像を見たり集めたりもしています。この絵は 十一面観音像を私が描いたものです。数年前にお世話になった人から、木造の十一面観音像を購入させていただき、とても良い表情、スタイルであったため、つい描きたくなりました。

想するかのような慈悲深い表情、ふくよかな胸や腹の肉付け、腰を捻って立つすらりとした肢体などその類いまれな美しさから、日本に現存する十一面観音の中でも最も美しいと言う人が多い仏像です。


私は何かをする時、または何かを続けたいと思う時、仕掛けを考えます。楽しく出来る方法ややらざるをえない方法です。絵を描くことは大好きなのですが、なかなか時間がないのです。でも毎年の年賀状は心を込めて自作の絵を送りたいと考えて毎年少なくとも1回は描ける様にしています。                            
左の写真が本物の向源寺の十一面観音像です。私は向源寺に行ってこの仏様の前で30分~40分位ゆっくりさせていただきました。時間がゆっくりと過ぎていく感じがします。癒しの時間でした。

この仏像をご覧になりたい人のために情報をリンクしておきます。

ココをクリックしてください。滋賀県観光情報のページに飛びます。

















 



 



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Posted by イーラパーク安池 at 06:36Comments(2)TrackBack(0)楽しい出来事

2008年04月30日

第2弾・私が描きました(舞妓)

 
 
きのうアップしました「十一面観音」に多くのアクセスがありましたので、懲りずにもう一枚私が描きました「舞妓」の絵をご覧ください。

毎年の年賀状ですが、学生時代干支の絵を描こうと決めて寅年からはじめて確か全部終わったので仏像を描こうと言うことになりました。はじめに弥勒菩薩を描きました。翌年、描く対象を選んでいたら、他のジャンルを一回描いてみたくなり「舞妓さん」を描くことにしました。







 



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Posted by イーラパーク安池 at 05:51Comments(3)TrackBack(0)趣味

2008年05月01日

明治時代の1,000円はいくら?

明治時代の当家の歴史を少しずつひも解くにあたり、当時の貨幣価値について興味を持った。左の書物を購入し調査した。そしてこの書籍を参考にして自分なりに表を作成したので、今後の資料としたい。

当時の値段が分ると書物を読んでみても楽しいでよ。

表からちなみに明治5年の1,000円は10,163,889円だということが分る。












 


















 










 













 












 



 
 




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Posted by イーラパーク安池 at 11:16Comments(2)TrackBack(0)思ったこと

2008年05月02日

特別養護老人ホーム竜爪園を紹介する新しいブログ開設しました。

イーラパークに新しくブログを開設しました。

私は4月17日にイーラパークでブログをはじめてまだ1ヶ月にもなりませんが、この地域ブログのすばらしさを実感しています。5月2日今現在1010件のアクセス件数にびっくりしています。(私も記事を投稿しながら見たりしているので、私のアクセス件数も入っての話ですが)それにしても多くの皆様に見ていただいていることに記事の書き甲斐も出てきました。

静岡市葵区長尾89-1にあります特別養護老人ホームを紹介するためにブログを開設しました。
http://ryusouen.i-ra.jp/ 見てみてください。

私は平成14年4月から平成19年2月まで約5年間、竜爪園の運営母体であります社会福祉法人天心会の理事長をしていました。現在は中野菊乃理事長を応援する立場で天心会では理事をさせていただいております。

写真は私が理事長をしていました平成17年3月に完成しました「日本で2例目の木造の特別養護老人ホーム」の建物内部の写真です。

同じ静岡県の地域ブログのイーラパークの皆様にご紹介できますこと喜んでいます。
 
これから少しずつ、もう一つのブログhttp://ryusouen.i-ra.jp/で竜爪園の紹介をしていこうと思います。
イーラパークの皆様よろしくお願いいたします。

  

Posted by イーラパーク安池 at 13:11Comments(2)TrackBack(0)竜爪園

2008年05月05日

平成20年5月5日こどもの日

我が家の家紋は「抱き冥加」といいます。左右に冥加の葉が書かれた紋です。「丸に抱き冥加」ではないかと着物屋さんに言われたことがありますが、墓石や、お位牌にも抱き冥加の周りには丸で囲っていません。

子供が生まれてから5月には五月人形を飾っていました。長男の初節句の際には鯉のぼりを家内の実家からもらい、五月人形を飾り、お祝いをしました。次男が生まれることになり、実物大の鎧兜がほしくなり、抱き冥加の紋入りのものをやっと見つけて購入しました。

長男にも次男にも健やかに成長し、立派な人間になってもらいたいです。


 





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Posted by イーラパーク安池 at 17:05Comments(0)TrackBack(0)安池家

2008年05月06日

スポーツクラブに通いだしました!

 先日、風邪をひいた際にお医者さんに中性脂肪が高い言われて、何とかしなくてはと考えるようになりました。

4月29日に「ルネサンス静岡」と言うところで、少しずつでも、運動をする習慣を付けて行きたいと思っています。今日も少しの空き時間を使って自転車こぎをしてきました。








 本日の運動
  メニュー:自転車こぎ
 時間:42分2秒
 走行距離:11.9Km
 消費カロリー:162.4Kcal
 歩行歩数(換算):5823歩
 ごはんに換算すると
  1.0杯分のカロリー消費


とのことですが、これだけやってごはん1杯か
と思うと微妙な気分でした。運動した後は、
施設内でお風呂に入って帰りました。

 


















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Posted by イーラパーク安池 at 18:33Comments(0)TrackBack(0)健康

2008年05月08日

山岡鉄舟と西郷隆盛の会談(駿府傳馬町)

友人から東京の歌舞伎座において「将軍江戸を去る」という演題のものを観劇してきたという知らせが届いた。その中に「山岡・西郷の会談の場面があった」と聞き、それが駿府(静岡)での史実と言うことであり興味をもって家の中に或る書籍を探した。「近世静岡変遷史:桜井信太郎著 昭和35年発刊」によると山岡鉄舟と西郷隆盛の当時の駿府での会談の様子が記されており、下記のように記載があった。
この会談がなかったら、徳川慶喜さんが静岡に住んだり、西草深に引っ越して来ることも、その屋敷跡を当家が買い取って「葵ホテル」を経営するなど・・・諸々時代が変わってしまっていたことになる。
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官軍が京都を出発する時に御前会議で決定した法方は二つであった。一つは徳川慶喜は責任をとって切腹させること。一つは江戸城及付近は砲撃して徳川三百年来の物は全部破壊して新しい東京を新設する。此の二大法律で進軍して先頭は薩摩の中村半次郎を先手の大将に任命した。(後の桐野利秋)品川宿まで進出し司令部は駿府傳馬町の松崎方に置いて西郷参謀が指揮したので当時の松崎方は臨時大本営になった。

山岡が江戸出発に先立って勝海舟は二つの条件を傳言した。
一.その一つは江戸城は無血にて明け渡すに依って江戸は焼討ちしないこと。

一.徳川慶喜はすでに大政を奉還して無官の身にて謹慎中なれば是れ以上の追求はしない。切腹はさせない。

右二条件を提げた山岡鉄舟は駿府上代役宅にて眞心を披瀝して西郷に迫ったが西郷先生も、中々事は重大であり直答はなりかねた。

すでに大本営で決定した事を後から改めるのは出来ないからだ。大きな目玉で山岡の顔を見つめたまま無言で向き合っていた。

その時の山岡は主君の為に死を覚悟していた。同時に山岡鉄舟の述べた言葉は今古を通じての名言であった。俗に言えば殺し文句であった。此の殺し文句に人間味のある西郷先生が動かされたのであった。

「西郷さん、あなたの立場はよく理解して居ります。こんな御無理の御願ひをする私の方が悪いが、あなたも立場をかへて今の私の立場になって一つ御考がへ下さるならば如何でありますか。万一あなたの主君島津公が戦い敗れて謹慎しているにもかかわらず、焼討ちの上切腹させられる立場になった時、家臣として西郷さんあなたは島津さんを見殺しにできますか如何です、必ずや家来たるあなたは今の私の様に溺れる者は藁をもつかむ立場になると思いますが理屈を申し上げて相すみませんがここの道理を一つ御理解下さって何とか寛大なる御処置を御願い申し上げます。」

と赤誠涙と共に談じたのであった。

遂に山岡の一言は西郷を動かした。至誠は天に通じたのであった。西郷一人で取扱ひは出来ないので一旦山岡を江戸へ帰し、自身は馬上で西へ引き返し総督府に於て更に内外の状況を調べた後、江戸市外にて西郷勝海舟の会見となって円満に江戸明渡しと慶喜公の死罪っ等をゆるし、徳川亀之助に七十万石を与えて駿府を封すと大へん寛大な処置になった。始め駿府で山岡から切り出した条件は其のまま受け入れられたのである。

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Posted by イーラパーク安池 at 09:14Comments(0)TrackBack(0)静岡の歴史

2008年05月09日

静岡市の御器屋町という町名の復活はあり得ないのか?

静岡市の御器屋町という町名が昭和44年4月1日から西草深町に併合されなくなった。
私が生まれたのは昭和40年5月なので私は御器屋町29番地で誕生し、私が3歳11ヵ月の時に住所が西草深町24番22号になったわけである。

御器屋町の歴史は古く慶長12年(1607年)徳川家康が駿府城に隠居し、同14年に駿府城の一大拡築工事の竣工に引き続き、駿府の町割りがされたとされ、この町並みにより開かれた町名とその区画は明治初年の頃まではそのままで、その町数は96ヶ町この外に追手町や鷹匠町、水落各町、東草深各町、番町方面各町及び屋形町等お城や武家屋敷町として庶民以外の者の住める町として27ヶ町あり、合計124ヶ町が駿府の区域であり且つ総町数であった。

よって、御器屋町は1609年に町割されて西草深町に併合された昭和44年は1969年なので、実に360年の歴史に幕を閉じたことになる。しかし、その後昭和44年(1969年)から平成20年(2008年)現在に至るまでの39年間は何故か、西草深町御器屋区町内会が存在し続け、その町内会長が代々存在し続けて、町内の問題解決、行事等を行っているのが現実である。それほどまでにかたくなにこの御器屋町と言う町名にこだわっているならば、いっそ40年ぶりに御器屋町の町名の復活ということはあり得ないのであろうか?

もともと、どの様な経緯によって御器屋町という町名が消失し、西草深町になったのか。その時のいきさつも当時3歳であった私には知る由もない。大きく分けて二つ理由を推察する。一つは静岡市が行政区画を合理化しようとして、町内がそれに従った。二つ目は、町内会として財政的に運営が行き詰まり大きな町内会で隣接する西草深町に救済を求めた。つまり、政治的な合理化策の中で町名が消失したのか、それとも町内会自身が立ちつかなくなって独自の判断で消失の道を決定したのかである。

この二つの推察で大きく違うのは、行政の判断か自身の判断かである。しかし、後者の理由であれば、西草深町御器屋区町内会などを作って、独自の町内会長をその旧御器屋町区域から選出し、独自の予算を立て、独自の行事を企画し、そこに西草深町から異論が出ていないのも不思議である。以上のことから、私は御器屋町の町名の消失は行政区画の合理化によってなされたのではないかと仮説を立てる。

まず、この経緯について、町内会及び行政に対して今後調査をしてみたい。昭和44年当時の経緯も知らずに何を言うかと言う人もあるかと思うが、自分が生まれた町の名前が何故消えたのか調べたくなるのも自然にして素朴な疑問である。

360年もの歴史を持ち、町名消失後約40年もに渡り、いまだにその地域に住む人が大切にしている町名は、私個人的には、非常に貴重で復活が出来ないものかと考えてしまったのである。これは我がままであるのか良くわからないが、考えてみるのは自由だと感じている。

ちなみに駿府九十六ヶ町が現在、存在し続けているのか、それとも消滅したのかとその町名の由来が書かれているサイトを見つけました。
参考までにリンクしておきます。 ココをクリック!
                                       




























現在も昭和44年まであった町名の記念碑が立っている。


 








御器屋町があった地域は地図の通りである。

                                                         
 











この写真の中にこの地域に住む人の町名に対するこだわりを感じてならない。                                            

Posted by イーラパーク安池 at 06:04Comments(2)TrackBack(0)静岡の歴史

2008年05月11日

京都へ日帰りで行ってきました。祇園「権兵衛」おすすめです!

                                
2008年5月10日、同志社グリークラブOB会の会合で日帰り京都に行った。14時から18時頃まで京都駅周辺のメルパルク(郵便局関連施設)での会合であったが、いつも折角、静岡から京都に行くのだから、何か京都を感じてきたいと思って、午前11時に京都に到着して、地下鉄で四条まで乗り、阪急電車で河原町まで乗り継ぎ、祇園まで足を伸ばした。

最近始めたスポーツクラブでの自転車こぎの成果がでて、歩いた時の疲労感が僅かながら少ない様に思った。

14時までの間を有効に使うために、周辺を歩いた。ここら辺は何度も歩いており、特に買うものもないが、何か楽しい街並で、ダイエット中なのでカロリー控えめ、少量で美味しいお店がないか探した。

ふと「おそばや」の「権兵衛」というお店が目に入り、中へ入った。昔からあるのだろうか、京都らしいお店だ。私は、「鳥なんば」というメニューを注文した。確か950円だったと思う。鳥なんばはそばとうどんがあるが、今回はそばを注文した。

権兵衛のそばは細めで結構美味しかったが、私が特に気に入ったのは、そばつゆに七味が入っていて、なんともいえない山椒の香りが、そばと鳥に絡み合っている感じだった。祇園にありながら、あまり値段も気にしなくて良くて、中の雰囲気も京都を感じることが出来、美味しいお店と言うのが得した気分にさせてくれる要因であった。

5月25日にも同志社グリークラブOB会の用事で京都に行くが、折角交通費かけて行くのだから、京都再発見を見つけられたら嬉しいと思っている。

「祇園・権兵衛」の詳細は ココをクリック








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Posted by イーラパーク安池 at 06:42Comments(0)TrackBack(0)

2008年05月11日

静岡市役所のドームっていい感じです。

今日、次男を背負って、浅間神社に行ってから浅間通りを抜けて呉服町の静岡伊勢丹に行った。

伊勢丹の地下でお弁当を買って、屋上で次男と2人で食べた。ここは穴場!ぜんぜん人はいない。景色は良いし、日曜日の昼の12時で8階のレストラン街は大賑わい・・・なのに屋上はガラガラ、見通しが良いので子供が先に食べ終わって、屋上中走り回っているのを見ながら、ゆっくり自分もお弁当を食べれる。

周りの景色の中にひときわ目立つのが、静岡市役所の旧館だ。
調べてみると、この静岡市役所本館は昭和9年(1934年)建築家中村與資平の設計によって造られたスペイン風の造形が印象的な建物で、特に天井のドームは全体の建築費の21%を占めている。平成8年には国登録文化財に指定されている。

建築家中村與資平氏はすごい建築家のようです。浜松出身で静岡市役所だけでなく、静岡県庁も実は同じ人が設計していた。日本にとどまらず、朝鮮にも、有名な数多くの建物を設計している。

詳しくは ココをクリック(個人のブログのようだが、詳しく調べてあってよく分ります。)










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Posted by イーラパーク安池 at 17:55Comments(0)TrackBack(0)静岡の歴史

2008年05月12日

駿府にも薬園があった。(現在の長谷通り中央付近)

長谷通りのほぼ中間、静清信用金庫安東支店前に「駿府薬園址」の碑を見つけた。調べてみると、江戸幕府直営の薬草園であったそうで、規模は南北約70間、(120m)、東西60~80間(108m~144m)で、坪数4,285坪という広大なものであったらしい。徳川家康が駿府城在城のころに開園したといわれている。

その後一時衰退したが、八代将軍吉宗の時代、享保期に拡張整備され、中国、朝鮮、オランダなどの海外渡来の薬草の栽培もされた。

徳川幕府は、天下にあまねく仁政を実行するという政治の姿勢を示すため、薬草は将軍や徳川家だけのものではなく、庶民の健康のために栽培されたと言われる。時代劇に、江戸には小石川薬草園があったのを見たことがあるが、静岡にも同じように、薬草園があったというのも興味深い。









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Posted by イーラパーク安池 at 20:15Comments(0)TrackBack(0)静岡の歴史

2008年05月13日

カエルが成長しています(身長8mm)

                         
長男が静岡市内駿府公園の家康の像のすぐ近くのライオンの口のある池にいたおたまじゃくしをペットボトルに入れて家に持ち帰って飼育しています。今のところ1匹も死なずに成長して足が出てカエルらしくなってきました。

でもまだ身長は足を伸ばしても8mm位(1cmにまでは行かない感じ)です。石を置いてあげたらその上に登ってきました。どの位の大きさのカエルになるのでしょう?楽しみです。今までえさは金魚のえさをやってみたら食べているようです。









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Posted by イーラパーク安池 at 07:08Comments(0)TrackBack(0)楽しい出来事

2008年05月29日

京都に行き、クラーク記念館(同志社大学)を見てきました。

私が静岡市に建てた賃貸マンション「クラーク西草深」は左写真の「クラーク記念館(同志社大学)」をモチーフにしている。

クラーク記念館は1893年、京都にある同志社大学今出川キャンパスに、印象的な尖塔をシンボルとする煉瓦造の建物として誕生した。

一組のアメリカ人夫妻の寄付をもとに建設されたドイツ・ネオ・ゴシック様式の建物には、早世した息子の名が冠されている。「クラーク神学館」、現在の「クラーク記念館」である。
以降100有余年、同志社大学の神学教育・研究の拠点、さらには神学部以外の学生も利用する学舎の一つとして、同志社の象徴的存在であり続けている。

そして2007年12月、2003年1月から60ヶ月におよぶ大規模修復工事を経て、赤煉瓦の館は再び創建時の姿に生まれ変わりました。2008年に竣工式を執り行い、新たに「同志社人の誇り」として蘇った。

私、個人的には尖塔の部分が銅板で緑青がふいていたのが柔らかい印象で良かったが、あらためて、今回京都に行き新しくなったクラーク記念館を見てこ雰囲気もまた違った良さを感じた。100年以上人々に愛され続けたクラーク記念館は改修工事が済み、新たな100年を生きていける耐久性を兼ね備えたわけだ。

クラーク記念館の詳細はココをクリック





右側が静岡市の賃貸マンション
「クラーク西草深」
詳しくは
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Posted by イーラパーク安池 at 13:36Comments(0)TrackBack(0)クラーク・アガティス